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1997年10月1日(水) ![]() | 『建築雑誌』PM/CM分野の可能性 設計者の取り組み 私の事務所がPM/CM(プロジェクトマネジメント/コンストラクションマネジメント)の理想型を実践しているから執筆依頼があった、というわけではない。この方式が良かろう、よりべターであろう、と思ってやってきたことが、たまたまPM/CMの考え方に一部が一致していたので、先進事例として少し注目を浴びた。 どこにでもいるような、ごく普通の設計者が、誰でも考えそうな、ごく当たり前のことをやっているわけだから、自分も同じようなことを考えていた、という設計者(設計事務所)が案外たくさんいるかもしれない。したがって、これまで取り組んできた体験を整理することで、これらの人たちに何がしかの参考になるならと思い、力不足は承知のうえで原稿執筆の依頼を承諾した。 さて、私の事務所は、何か特別なことをしているとは思っていないが、なぜそのようなことを始めたのか、動機は何か、とよく聞かれる。この間いの裏側には、現状の設計事務所のままではなぜいけないのか、設計事務所の業務内容の再定義・再構築が必要なのか、という時代の変化に対する漠然とした意識を感じる。 それではなぜ、私の事務所はこのようなことを始めたのか。体験的に振り返りながら、述べてみようと思う。それは取りも直さず、なぜこのような手法が全国的にあまり定着しなかったのか、その障害は何か、また、今後の可能性について考えることにもつながる。 1992年、あるレストランの改造工事の設計監理業務を受託した。ところが事の成り行きで、分離発注で工事を行うことになった。元請となる工務店を外したので、工事現場の工程管理は私の事務所が行った。工事の工程表は、設計者を中心に各専門工事会社の現場責任者が一堂に集まり、意見を出し合って作成した。工事代金は、発注者が各専門工事会社に直接支払った。 その結果は、見積りを依頼した工務店が当初出来ないと言った工期内で、完成した。工務店が見積もった金額の、約75%の費用で完成した。現場でのトラブルはほとんど発生せず、発注者や各専門工事会社の人たちともうまくコミュニケーションがとれた。監理に費やした時間は大幅に増えたが、設計者としては未知の領域に踏み込んだ不安と期待に緊張感を覚えつつも、楽しく業務が遂行できた。発注者にとっても、内容的、金額的に満足のいくものであったようだ。 大まかに言うと以上であった。この得難い体験は、設計事務所の存在意義、あるいは工務店(ゼネコン)の役割、建設業界の仕組み等について、改めて考え直す良い機会を与えてくれた。 この体験を契機に、事務所内ではいろいろな意見が出た。専門工事会社がしっかりしていれば、分離発注でも工事は可能ではないか。設計者自身がもっとコスト意識を持つべきではないか。適正な価格はどうやって把握するのか。工務店抜きで、管理は本当に大丈夫か。クレームが発生したときにどう対処するのか。専門工事会社が理解し、参加してくれるだろうか。業界の反発はないだろうか。発注者の支持は受けられるだろうか等々。 結論として、事務所の人たちの総意は、すべての発想をあくまでも発注者の立場に置くこと、そのために設計者でなければ出来ない手法を築き上げること、であった。 考えてみれば、私たち専業の設計事務所は、時代の変化とともに、いつしか中途半端な立場に立たされてきた。ゼネコンの設計部も随分充実しているので、専業設計事務所があってもなくても建物は建つ。 誰しも現状を180度変えるには、勇気がいる。今まで培ってきたものを、捨てなければならないから。 発注者の立場で考えるなら、設計事務所が建築業者と利害関係を持つことは、好ましくない。今まで私の事務所も、大なり小なり建築業者と営業面で協力し合ってきた。新しい方式を試みるに当たって、こちらにその気がなくても、工務店やゼネコンは良い気分はしないだろう。 まず最初に、営業面で協力関係にあった工務店やゼネコンに、私たちの考え方を説明し、今後は紹介物件の受託や、その他設計の手伝いが出来ない旨を伝えた。 次に、私たちの考え方をワープロでまとめ、知り合いに説明して回った。さらに、小単位の建築セミナーを持ち、参加者に私たちの思いを訴えた。 1993年1月、幸運にも声が掛かり、酒の量販店の仕事を受託した。続いて木造個人住宅の仕事。この建物の発注者は、竣工式に各専門工事会社の代表を招待した。普段は下請として、あまり晴れがましい席に招かれることがない職人たちにとって、この日はまさに主役であった。仕事上の上下関係がなく、設計者を含めて施工に参加した人たちが、発注者のもとに全員がパートナーという立場であった。その後、第三セクターの仕事を含め、現在までに約60件の建物を受託した。 一つの物件に携わる私たちの業務量は倍加した。しかし、発注者に求められている、という確かな手応えがつかめ、専門工事会社の人も、おおむね好意的に参加していることが確かめられた。このことは、今後設計事務所がPM/CM分野へ参入し定着するか、精神面での重要なポイントである。 もう一つの重要なポイントは経営面。従来のやりかたの設計事務所がPM/CM分野へ参入したときは、立ち上げ期が大変である。特に私の事務所のように、建築施工会社との利害関係を断ち切った場合、一時的な受注減をどう乗り切るか。一件目の受注が難しい。なぜなら、発注者にとって、実績がないところには依頼しにくいからである。 さらにもう一つ付け加えるなら、設計者自身の能力面。建築は一つの物件を消化するのに、費やす期間が長い。マネジメント能力は、体験を積みながらでないと身に付きにくい。分離発注はなおさらだ。ノウハウといっても試行錯誤を繰り返しながら、時間をかけて蓄積する以外にない。 案ずるより産むが安し。建築専門誌で私の事務所が何回か取り上げられたことで、今までに全国から10人ぐらいは訪ねて来た。40歳前後の設計事務所の経営者たちである。設計事務所は、実勢コストの把握と工程管理能力に弱点がある。デザインに特化するならそれでよいが、発注者に対してトータルで役に立とうと思うなら、弱点の克服は避けられない課題、というのも彼らに共通した考えであった。今後の拡がりを占ううえで、これらの人たちの現在の動きを紹介する。 岐阜県大垣市の現代設計。1996年夏、所員と共に3人で来社。年末には所員1人が約1週間、私の事務所で業務を手伝いながら研修。1997年1月、大垣市で建築セミナーを開催、約100人の参加。現在、総工費5,000万円以下の物件に絞り込み6棟を受託、悪戦苦闘の毎日という報告があった。 大阪市のIC企画。ゼネコン出身者の設計事務所。所長が1996年に来社。1997年5月、大阪で建築セミナーを開催、約70人が参加。延床面積5, 000uのマンションを受託し、工事費の概算を弾くための発注説明会も終わり、現在12月の着工にむけて実施設計中とのこと。 大阪のフリーダム・リノ。1996年所長が来社。年末に神戸で建築セミナーを開催、約30人が参加。現在、住宅を受託、そのほかにインターネットのホームページに問い合わせ多数とのこと。 いずれの事務所も、このような手法を模索しており、具体的な事例に接して、踏み切る自信が付いた、ということであり、とても張り切っている。私の事務所も経験したことは公開し、セミナーでは講師を引き受けるなど、できる限りのことは協力してきた。 PM/CMに関する設計事務所の動きとしては、岐阜に希望社という発注代行サービスを行っている事務所がある。最近FC(フランチャイズチェーン)展開を始めた。また、北海道にあるアーキタンクという事務所は、場合によって分離発注を行うことがある。予算が合わないときの手法として、あくまでもイレギュラーとしてとらえているようだ。 いろいろな考え方や手法のもとに、発注者の選択肢が拡がった方が良いと思う。ただし、急激な変化は混乱をもたらす。緩やかに変化していくことを望む。経験の裏付けをもとに、地域に根付いた手法が、本物として残っていくのではないだろうか。 | オープンシステムの雑誌 (その他の体験ブログ) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |